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2018年10月25日木曜日

私の物語が続く前の話



自閉症ゆえの強迫性

私はだいぶイカれているのではないか、とふと思う時があります。

物事について考えることがやめられず、強迫性が勝っていて生活に支障が出ます。
やめなさい、と言われただけでは無理で、やはり私は物理的に何か手を動かすなりして、就労しなくちゃならないのだとは思います。
しかし、それでもなお私は頭の中が色々な感情や理論でいっぱいになり疲弊しました。

小学生の頃からそうだったので、もう一生治らないでしょう。
しかし治さなければ一般社会では生きていけません。
障害者しかいない社会でも生きていけません。
うつ病になってでも努力すべきなのですが、それくらいだったら死んだほうがマシだと思うくらいには疲弊しました。

企業ではありませんが、内職の仕事でお金をもらっていたことがあります。
神社の御札をしこしこ作る仕事がとりわけ好きだったのですが、周囲に極度のかんしゃく持ちがいて困りました。
お風呂に入らず、悪臭のひどい人もいました。
奇声を上げて飛び回る人もいました。
でも、彼らは週5日休みなく通い、仕事もしっかりこなします。

私は彼らを、とてもじゃないけど許せなかった。
私の邪魔をことごとくするから。
しかしその何十倍も、環境にとうとう適応できない自分が許せなかったのです。

「やまゆり園事件の植松」とほぼ同じ思想です。
口ばっかり達者で生産性がないから、死にたいと思いました。
そこから変わっていくのは容易ではありません。
実際、就労できない人間は貧困に陥って死にますから。

私が幸いだったのは、生活保護利用者やホームレスにならなくて済んだところです。
私は異常なまでにモノを考え、疑いますから、人に管理される生活をすんなりと受け入れることができません。
ですから、もしなるのだとしたらホームレスがいいです。

追記しました

(10/26 追記)
で、ここで「ホームレスがいい」と言ったけど。
それはあくまで生活保護との二者択一の場合であって、やむなくそう言っただけなので、私は本来はそのような生活はどちらも望んでいません。
…とだけとりあえず書いとこう。
続きでは「じゃあホームレスにならないために、貧困予備軍である今の状態からどう暮らすか」という話もあるので。

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